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2021-01-05 [twitter投稿]



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カンボタン(寒牡丹)! [ヘッダー画像]

210105no18.JPG
撮影日:2021.01.05
福智山ろく花公園
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昔は祝日「新年宴会」の日 [かわうそ@暦]

□昔は祝日「新年宴会」の日
 現在、祝日の日付を決めているのは「国民の祝日に関する法律」。この前身となったのが、明治時代に作られた「休日に関する件」という法律でした。この法律は時代とともにいくつかの祝祭日が追加されたりして変化したのですが、一番最初に登場したのは明治6年(太陽暦を採用した年!)でした。その明治6年に初めて登用した祝日は以下の通りです。

 (明治6年太政官布告第344号) 年中祭日祝日等ノ休暇日左ノ通候、此旨布告候事
元始祭 一月三日
新年宴會 一月五日
孝明天皇祭 一月三十日
紀元節 二月十一日
神武天皇祭 四月三日
神嘗祭 九月十七日
天長節 十一月三日
新嘗祭 十一月廿三日

 全部で8つの祝祭日が記載されています。現在の祝日にも名前は違うけれども生き残っているものもありますが、消えてなくなってしまったものもあります。消えてしまったものの中に、今日の日付の祝日がありますね。本日は今はなくなってしまったその祝日の話を取り上げてみます。

◇一月五日は新年宴会!
 なんか、目出度い感じの祝日ですね。おっと、祝日だから目出度いのは当たり前でしたね。「新年宴会」ですよ「新年宴会」(「會」は現在の表記の「会」に代えます)この新年宴会という祝日にはいったいどんな意義内容があるかというと、「宮中で行われた新年の祝賀行事」おお、目出度い・・・ということはわかりますが中身が全然判りませんね。では、宮中で行われたという祝賀行事の内容から、もう少し祝日の意味を推測してみましょう。

◇新年宴会の祝賀行事
 この日は、宮中の豊明殿に皇族・貴族(華族)・内外高官が招かれて天皇に拝謁し、膳酒を賜る行事が行われていました。ただこれは単に宴会だけが別にあったわけではなくて、本来はそれに先立つ四方拝(しほうはい。祝日。 1/1)や元始祭(祭日。 1/3)とセットになる新年行事で本来は元日にまとめて行うものでしたが、官公庁の休暇の期間に当たる12/29~1/3を避けて対外的な性質の強い新年宴会を 1/5に移動したものと考えられます。

◇ルーツは「元日節会」
 新年宴会のルーツと考えられるのは、「元日節会(がんじつせちえ)」という行事と考えられます。この行事は別名「元日宴会」とも呼ばれます。元日の宴会を役人の休暇の都合で 1/5に移動させると1/5で元日宴会でもないでしょうから、「新年宴会」という名前になったのでは?この元日節会ですが、開催が恒例化したのはAD 716年(元亀二年)から。AD 716と言えば、藤原京から平城京への遷都が行われた年(AD 710)の 6年後のことですから、新年会にはなんと1300年の歴史と伝統があったのでした。この元日節会には天皇と群臣百官及び諸国の国司のうち、その日に在京するもの(たまたま上京しているもの、任官したけど赴任がまだなものなど)が参加したといいます。参加者の資格をみていると、戦前に行われていた新年宴会の行事参加者の資格を彷彿とさせるものがあります。本来は元日の行事が一部分離した形で生まれたこの「新年宴会」という戦前の祝日は、やがて単なる新年を迎えたことを祝う宴会という意味になり、民間でも次第にこれを真似て宴会を行うようになったのが現在の新年会。正月休みの時期を避けて、仕事が始まる時期に日付を移動させた結果として、家庭内の私的な宴会から、職場などの公的(?)な宴会となっていったのではないかと私は考えていますが、どうでしょう?

◇今年は?
 本来は、胸を張って歴史と伝統の裏打ちされた「新年会」を開くべきだったかもしれない今日ですが、昨年から続いている武漢肺炎禍のおかげで、そうしたものは行われないでしょうけれど。来年は、祝えるようになっているでしょうか?来年は1300年の伝統に連なる厳かな気持ちで「新年会」が行えることを祈りつつ、今年は対策に気を配りつつ、新年を祝うことにしようかなと思う、カワウソでした。(「2021/01/05 号 (No.5211)」の抜粋文)

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