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2021-01-17 [twitter投稿]



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ラナンキュラス(ラックス)! [ヘッダー画像]

210111no43.JPG
撮影日:2021.01.11
JA直鞍なのはな畑
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金色夜叉と旧暦 [かわうそ@暦]

□金色夜叉と旧暦

 「宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ (中略)一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから (中略)十年後の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから」(尾崎紅葉作「金色夜叉」から抜粋。説明に関係のない途中を適宜省略テキストは青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/ 掲載のものを使用)今日は金色夜叉の一部、有名な貫一、お宮の別れの場面の引用からスタートです。正直に言って私は金色夜叉を読んだことは有りません(一部抜粋を読んだだけ)。そんな私ですが、それでも「来年の今月今夜・・・再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから」というフレーズがすらすら出てくるほど有名な場面です。金色夜叉は明治30~35年(1897~1902年)の間読売新聞に連載された小説です(未完)。さて、この金色夜叉と暦がどんな関係が有るかというと「今月今夜の月」というフレーズです。この熱海の海岸での情景の描写はどうやら満月の夜。連載が始まった年の1/17の月の様子を調べてみるとドンピシャ。1897/1/17 は旧暦では 12/15。つまり十五夜の満月(天文学的満月はこの 2日後でしたが)です。どうやら尾崎紅葉は、連載時点で既にこの場面を思い描いていたようです。さて、この場面で貫一氏が「来年の今月今夜、再来年の・・・」と言ったとき、氏の脳裏にあった月はきっと、その夜と同じ満月だったことは、この文章を読む限り間違いないことと思います。ところがです、明治30年当時は既に太陽暦・・・もうお解りでしょう? そう、太陽暦の来年の今月今夜の月は、満月であるはずがないのです。貫一氏が言った、来年、再来年、十年後の月の様子をその日の旧暦の日付で考えてみましょう。

  今年   1897/1/17 ⇒ 旧暦 12/15 (十五夜・・・ほぼ満月)
  来年   1898/1/17 ⇒ 旧暦 12/25 (二十五夜・・明け方の細い月)
  再来年  1899/1/17 ⇒ 旧暦 12/ 6 (六夜・・・・上弦の月の前日)
  十年後  1907/1/17 ⇒ 旧暦 12/ 4 (四夜・・・・三日月の翌日))

 うーむ、何れも満月にはほど遠い。「三年後の今月今夜」とでも言えば十七夜、立ち待ち月でしたから、満月に近いのですがそれではいかにも取って付けたような浮いた台詞になりますしね。ではなぜこんな言葉が出てきたのか。これが旧暦(太陰太陽暦)を使用していた時代だったらこの名台詞の通りだったのです。尾崎紅葉の頭の中には旧暦時代でなら常識だったこの事実があったのでしょうか。あるいは、旧暦時代に「今月今夜の月」のような用法が慣用句としてあって、それを用いただけなのか。この辺の事情は私には判りませんが、細かく見ると名台詞も「あ、それおかしい」と揚げ足とりの材料と化してしまいます。いちいち揚げ足とりなさんなと言われればそれまでですが。それにしてもこの小説の連載開始が1897年ですから、太陽暦への改暦からは既に24年も経過しています。それでもこんな「今月今夜の月」が同じに見えると考える人が大勢いた、あるいはそうした常套句のような言葉がまだ生きていたとすると、太陽暦の普及は大分難航したようですね。(「2021/01/17 号 (No.5223)」の抜粋文)


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