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節分の豆まき [かわうそ@暦]

■節分の豆まき
 今日は節分、今晩はあっちでも、こっちでも「鬼は外、福は内」の声と、まかれた豆の跳ねる音が聞かれることでしょう。さて、この豆まきですが、どんな意味があって行われているのでしょうか?

◇豆まき
 現在の豆まきの行事は、今はすっかり廃れた(廃れて良かった?)方違えと言われる行事に端を発しています。平安時代には節分の日に恵方の方角にある家で宿泊すると言う風習がありました。恵方は方角占いでは常に障りのない目出度い方向です。時代が下ってくると、この行事が次第に簡略化され、恵方の家に宿るではなくて、家の中の恵方に当たる部屋に移ると言う形式になりました。こうなったのは室町時代のことと言われています。節分の度に別の家に泊まるというのは確かに大変ですから(泊まる人も泊まられる人もね)。さて、家の中で恵方にある部屋へ移動する場合ですが、その方角の厄払いとして行われたのが豆まきの始まりだと言われます。なぜ豆をまくのか? これはどうやら新しい季節「春」を迎えるための呪術のようです(詳しくは後述)。

◇鬼は外・・・鬼追い行事
 「鬼は外」と追われる鬼ですが、この行事は元々は大晦日に行われていた行事。おそらく古い年の厄の全てを鬼に見立てて、これを追うことによって古い厄を落とし新年を迎えると言う意味があったと思われます。この鬼追い行事を「追儺(ついな)」あるいは、「儺(おにやらい)」などと称しました。元々の追儺の行事では、鬼は豆などではなくて、弓矢や棒で追われたと言いますから、鬼もたまったものでは無かったでしょうね。この追儺と思われる行事の様子が論語の中にも登場しますから中国では2600年以上も前にこの行事が行われていたことが伺えます。その中国生まれの行事が日本に定着したのが日本の節分の鬼追い行事の始まりと考えられます。

◇豆による鬼追い
 旧暦は立春近辺に新しい年が始まります(あくまで「近辺」であって立春の日に新年が始まると言う意味ではありません)。立春近辺に新年を迎えるということは節分は立春の前日ですから「大晦日」近辺ということが出来ます。ですから新しい季節を迎える節分行事と新しい年を迎える大晦日の行事はほぼ同じ時期に行われたことになります。また、旧暦は新年は春に始まるという考えが基本にありますから、細かなことを問題にしなければ春を迎えるも新年を迎えるも同じことです。このため現在節分に行われる「豆による鬼追い」は

  1.迎春行事の一つとしての豆まき ・・・ 節分の行事
  2.新年を迎える行事としての追儺 ・・・ 大晦日の行事

 の二つが自然に融合したものとなったのでしょう。

◇豆がまかれる理由
1.邪を払う豆の霊力
 イザナギ・イザナミ神話でイザナギが黄泉の国の悪鬼を追い払うのに桃の実を投げたように、草木の実りは生命力を内に秘め邪を払う霊力が有すると考えられたようです。これをまくことによって厄を払うわけです。

2.五行説による豆まきの意味
 五行説では豆のように「堅くて丸いもの」は「金気」に分類されます。同じく五行説では春は「木気」。金気は木気を損なうもの(金剋木(きんこくもく))で木気とは相性が良くない。

 それで春(木気)の苦手とするこの金気の象徴としての豆をまく(いじめるわけですね)ことで春がやって来やすい環境を作っていると考えられます。金気をいじめると言うことから考えると、まかれる豆が豆そのものではなく、「炒り豆」であることにも意味がありそうです。炒るとはもちろん火で炒るわけですが、五行では金気は火気に弱い(火剋金・・・金属は火で融かされると言うわけ)。金気をいじめるなら火気が一番と言うわけです。豆をまくことで邪気を祓い、春の訪れを促すという新年と春を迎える意味があるようです。さてさて、遡れば平安時代からさらには春秋時代の中国にまでいたる節分の行事。今年も張り切って、「鬼は外、福は内」といきますか。

                           (「2024/02/03 号 (No.6335)」の抜粋文)
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2019.01.11撮影
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