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別名:ハナサフラン
2022.02.25撮影
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菅原道真の命日と天神縁日 [かわうそ@暦]

■菅原道真の命日と天神縁日
 本日は2月25日。菅原道真(すがわらの みちざね)公の命日です。飛梅伝説で知られる菅原道真公は延喜3(903)年2月25日に、太宰府でなくなっています。日付けについては、勿論当時の暦による日付けですので、季節感からすれば、現在の3月下旬の頃となりますが、命日などは特別な事情がない場合は、暦の違い等を問題とせず、その月日で考えるのが普通でしょうから、本日この記事を書いております(ま、思いつきですけどね)。

◇毎月25日は天神様の縁日
 菅原道真公の命日、2月25日に係わる暦の上の行事に天神様の縁日があります。天神様は全国に沢山存在する天満宮に祀られた神様で、菅原道真公の神号でもあります。皆さんもご存じのとおり、菅原道真はその能力、人気を時の権力者にねたまれて太宰府に左遷され、その任地で無念の死を遂げた人物とされます。菅原道真の死後、都では天変地異が続発し、ことに落雷とこれに伴う火災などの被害が続いたため、これは菅原道真公の祟りだと人々がおそれ、菅原道真が死後、火雷天神という雷神となって都の人々にたたっているという噂が拡がったことから、これを怖れたた人々が雷神となった菅原公を祀ることによって、その祟りを除こうと建立したのが京都の北野天神(天満宮)です。天変地異が菅原道真公の祟りと結びつけられた最大の理由は、菅原道真の左遷に関わった権力者の後ろめたさだったかもしれません。このように天神様はその始まりでは雷神として恐れられた神様なのですが、この神様になったとされる菅原道真公は生前は大変に優れた学者であったことから、天神様は「学問の神様」とも考えられるようになり、菅原公の命日が元となった天神様の縁日(毎月25日)には進学を控えた人やその身内の者が盛んに参拝するようになりました。今頃はちょうど受験シーズン。「学問の神様」である天神様への参拝にもますます力がこもることになるのでしょうね。

◇ついでに「縁日」の話
 今日は菅原道真公の命日ということで、そこから天神様の縁日の話を書きましたが、記事が思いの外短くなってしまって寂しいので、おまけとして「縁日」についてもちょっと書いておくことにします。縁日(えんにち)というと、私には「祭り」というイメージがあります。何となく、近所の大きな神社やお寺にはその日、屋台の出店が並んで・・・と、ただその出店目当として縁日に出かけていた子供の頃に定着したイメージですね。子供なら、まあこんなものでしょうが大人になった今は、そればかりでは恥ずかしい。

  縁日ってそもそも何だったの?

 と大人らしい(?)話もしておかなくては。そもそも「縁日」とは、神社や寺の創建やその寺社に祭られる神仏の降誕などの特別な日に行われる祭典、供養の日を表す言葉です。元々は「会日(えにち)」と言ったそうですが、それが訛って「縁日(えんにち)」となったそうです。漢字の「縁日」は、寺社に祀られた神仏と人間の間の有縁の日(縁が結ばれた日)と言う意味で使われるようになったものです。この日は、祀られた神様や仏様にとっても特別な日なので、この日参拝した者には、特別なご利益があると考えられ、この特別なご利益を授かろうと参拝する人が増え、結果として屋台の出店が並ぶことになったわけです。遊びに行った相手がたまたま誕生日で、誕生ケーキのお裾分けに与ったようなもの・・・なんて説明したら罰が当たるでしょうか?それぞれの縁日は、多くの場合元々は年に一度しかないというものだったようですが、神仏への参拝が盛んになるに従って年に一度では少なすぎるということで、現在は月一度とか、十日毎とか、どんどん増えています(水増しされている感じですね)。本日の天神様の縁日も、元々は菅原道真公の命日の2月25日だけだったものが、現在では「毎月25日」となっています。縁日がこれくらい増えてきたらこの日に出店を出して商売する人たちの生計も立つようになって(いろいろな神様仏様の縁日を繋いだら毎日なにかの「縁日」になるでしょうから)、現在のような出店で賑わう縁日となったのでしょう。以上、菅原道真公の命日と天神縁日&おまけの縁日の話でした。

                           (「2024/02/25 号 (No.6357)」の抜粋文)
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