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辛酉革命と建国記念の日 [かわうそ@暦]

■辛酉革命と建国記念の日
 暦の話には迷信がつきものです。迷信とは現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものです。「現代人の理性的判断」で不合理と判断されるのであって、時代が変われば合理・不合理の判断も違ってきます。暦の話につきものの迷信は「ある時代の人の理性的判断」では合理とされていたものなのです。ある時代には大真面目に合理と考えられたものが暦注などの形で暦の上に残りました。こうして暦の上には過去には合理であったものが多数残り、それを現代人の目から眺めるため「暦の話には迷信がつきもの」となってしまうわけです。本日は建国記念の日ということで、過去には合理だと考えられ真面目に捉えられていたが現在では迷信となったもののなかから、建国記念の日に関わりのある、辛酉革命(しんゆうかくめい)の話を採り上げてみます。

◇辛酉は不吉な干支?
 辛酉は「金の弟の酉(かのとのとり)」とも読みます。辛酉を十干(天干)と十二支(地支)に分け、陰陽五行説で解釈すると

  辛: 金性 ・ 陰気
  酉  金性

 というどちらも「金性」の性質を帯びています。ここで言う「金」はゴールドの金ではなく、金属を表す言葉。金属は冷たく往々にして武器を作るためのものですから、そこから「冷酷で危険な性質」と考えられるようになりました。辛酉の十干、十二支はいずれもこの冷酷で危険な性質を帯びたもので、その上「辛」は陰陽で言えば陰気に属するということで、この干支の日や年は人々の心が冷たくなり、凶悪なことが起こりそうな嫌な予感がする日や年だと考えられるようになりました。陰陽説も五行説も今から見れば迷信ですが、どちらも昔々に科学的な仮説として生まれたもので、それが生まれた時代の人たちは私たちが物質は原子で構成されていることを事実だと信じているように、陰陽説や五行説を信じていたのですから笑い事ではありません。中国では、この嫌な感じの「辛酉の年」には革命が起こって王朝が倒れる年だと考え、これを「辛酉革命」とよんで恐れました。

◇辛酉革命と改元
 恐れるのは勝手ですが、恐れたところで六十干支が一回りする60年に一度は必ず辛酉の年がやって来ます。避けて通るわけには行きません。そこで考えたのか仮想の革命です。仮想の革命とは何かというと元号をかえること、つまり改元です。元号は統治者が変わったり、何か大きな変革があった年などに政治体制を一新する意味で変えるわけですが、逆に改元することでそうした変革が行われたことにしてしまおうというわけです。つまり改元することで仮想の革命が起こったことにしたのです。この辛酉革命の考えは中国で信じられていた迷信だったわけですが、日本は中国から暦を輸入する一方で、この迷信まで輸入してしまい、この辛酉の年にはこれといった事件が無いにもかかわらず、改元するということがしばしばありました。明治以後は一元一世の制度となりましたので改元による仮想の革命、辛酉革命は行えなくなりましたので最後に日本で行われた辛酉革命は何時かというと1861年。万延から文久への改元です。万延から文久へと元号を変えていますがこの時の天皇はどちらも孝明天皇のままでした。ちなみに日本で元号が使われるようになった 645年(大化元年)から1861年までの間に辛酉の年は21回ありましたが、このうちで改暦が行われなかったのは

   661年 (?)
   721年 (養老5年)
   841年 (承和8年)
  1561年 (永禄4年)
  1621年 (元和7年)

 の5回(661年については、元号が使われていなかったと考えられるので、元号が使われていたと判っている時代だけで考えると4回)で、他の16回は全て改元されています。なかなか高確率です。辛酉革命という迷信はかなり根深く浸透していたと言うことですね。

◇日本の最初の辛酉革命?
 さて、暦の中にある数多の迷信の中から辛酉革命の話をわざわざ建国記念の日に採り上げるたかというと、それは建国記念の日の元となったと考えられる伝説上の神武天皇の即位年と関係があるからです。日本書紀によれば神武天皇の即位は「辛酉年の春正月の庚辰の朔」であったとされています。この年は紀元前660年とされています。御覧のとおりこの年は「辛酉年」です。もっとも紀元前660年に日本にこれだけ正確な暦があって使われていたはずはありませんから日本書紀の「辛酉年の春正月の庚辰の朔」という記述は正確な暦が使われるようになった後の時代に生きた人物が、その時代の知識を用いて創作したものだと思います。「辛酉年の春正月の庚辰の朔」が日本書紀(あるいは、その元となる資料)を作った人の創作だとすれば、初代天皇の即位年という国の成り立ちを考える上で非常に重要な年を適当に選んだとは考えにくい。初代天皇の即位は日本という国の誕生を象徴する大変革のあった年。それなら大変革にふさわしい年であらねばならない。神武天皇の即位の年に辛酉年を選んだ人物は、辛酉の年が革命の年であることを知っていたから、この年を即位の年に選んだに違いありません。そう考えれば、実際には創作されたものあるにしても、日本の歴史に最初に登場する辛酉革命の年は、神武天皇即位の年だったと言うことになります。そういうわけで、神武天皇の即位の日に起源をもつだろう建国記念の日に、辛酉革命の話を採り上げてみた次第です。迷信に振り回されるのは考えものですが、暦の上に残された迷信は、それを生み出した時代や人物の考えを推測する大きな手がかりになります。迷信だからと言って馬鹿には出来ませんね。以上、「辛酉革命と建国記念の日」の話でした。

【参考記事】
 「建国記念の日」の日付の意味 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0762.html

                          (「2024/02/11 号 (No.6343) 」の抜粋文)
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