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閏日が挿入された日付についての昔話 [かわうそ@暦]

■閏日が挿入された日付についての昔話
 本日は4年に1度(正しくは400年に97度)の閏日です。そんな閏日ですので、閏日にまつわる話を一ついたします。

◇閏日が挿入される日
 閏日が何時挿入されるかと尋ねられたとしたら、皆さんはどのように答えるでしょうか?普通に考えれば平年の 2月の最終日2/28と3月の始まりの3/1の間に一日挿入される、平年にはない2/29という閏日が登場します。この辺りの説明を簡潔にまとめると

 【閏日】(うるうび)(閏として加えられた)2月29日のこと。 《広辞苑・第七版》

 となります。広辞苑さん、簡潔な説明ありがとうございます。まあ、閏日がなぜ 2月にはいるのかという問題を度外視すれば、余分な日である閏日が月末に挿入されるというのが至極常識的だと思います。

◇閏日は2/23-24の間?
 至極常識的な現代の閏日の挿入方法を書いた後には、現代の常識から見たら非常識に思える昔の「伝統的な閏の挿入法」の話です。なんと昔の閏は2/23の後2/24日の前に挿入されたのでした。ここでいう昔は100年やそこらの昔ではなく、2000年以上も前の「昔」ですけれど。有名なユリウスの改暦以後、閏は「閏日」と呼ばれるとおり 1日だけになりましたがそれ以前は 2年ごとに22日ないしは23日の閏が挿入されました。これほど長いと、閏日というより閏月といった方が良さそうですね。2 年ごとに22ないしは23日という日数を見ると、ユリウス暦以前のローマ暦は一種の太陰太陽暦だったのだと想像できます(太陰暦の12ヶ月と太陽暦の1年の日数の差は11日前後。22日の閏ということは2年分の差の調整と考えることが出来ます。挿入される日数については、その理由が容易に推測出来るのですが、不思議なのは何だってまた2/23と24の間なんて半端な時に挿入されたの?ということです。

◇ローマの年末は2/23?
 ローマは周辺国と戦争をしては、次々に領土を拡張し続けた帝国です。このように戦争で拡大した領土からの得た税金と奴隷の労働でローマ市民は養われ、ローマの経済は支えられたのだと云われています。こうしたことから考えると、ローマ帝国にとってその版図を守り、拡げ続けることは生き続けるための至上命題であったと云えます。この重要な帝国の版図の境界線である国境を守る神様の名前はテルミヌス(Terminus)です。ローマにとってとっても大切な国境を守ってくれるテルミヌスに生け贄を捧げる祭りの日は2/23。この祭りのことをローマの人々はテルミナリア(Terminalia)と呼んで、この祭りをもって1年の終わりと考えていました。ちなみにこのテルミヌスという神様の名前は現在も終着駅や終点を表す言葉ターミナル(Terminal)の中に残っていますが、この神様の祭であるテルミナリアはローマの人々にとっては1年の終点を示す祭りであったのです。さて、こう考えてくると閏日が2/23と24の間に挿入される意味が見えてきます。テルミナリアが行われる2/23が1年の終点の日だと考えるローマの人々からすれば、1年の長さを調整するために臨時に挿入される閏日は1年の終点、2/23の後に追加すると考えるのが当然だったということでしょう。

◇1年の終点の後の 2月の日付は?
 ローマの人々が至極当然と2/23を1年の終点と考えるのは勝手ですが、今の私たちから見ると、その終点の後も24,25 ・・・と続く 2月の日付たちはどう見られていたのかが気になるところ。気になったので理由を考えてみました。考えた結果、もしかしたらと思ったことがあります。それはローマの人々の不思議な日付の数え方です。今から見ると不思議なこの呼び方ですが、太陰暦を用いていたことを考えると、理解できなくもありません。月の満ち欠けに基づいて、一ヶ月より短い日数を数えようと考えたとき、満ち欠けの変化区切りとして新月と満月、さらに上弦の半月と下弦の半月を使うのがよさそうです。区切りの日付はその日の月の形を見れば分かりますしちょうど一ヶ月(太陰暦の)を 1/4に分けてくれます。ローマの人々は、暦月の中の起点となる日を

   1日を ・・・ カレンダエ
   7または 5日を ノナエ
、 15または13日を イドゥス

 と呼んで、この日を基準にして日付を数えていました。ノナエとイドゥスに2つの日があるのは、大の月と小の月とで使い分けが為されていたためで、前者が大の月の場合で、後者が小の月の場合です。
この呼び方はローマ暦が太陰暦の一種だった時の名残なのでしょう(それぞれ、新月、上弦の半月、満月の日の日付と考えられます)。 2月については、年末の祭りテルミナリアがありますので、このテルミナリアも日付を数える起点に加わっていました。私たちの普通の感覚からすると月末はその暦月の何番目( 2月以外は30番目か31番目になります)と数えますがローマの人たちは次の月の 1日(カレンダエ)の 2日前という数え方を普通だと考えていました(「1日前」でなく「2日前」と数えるあたりも今からみると違和感がありますね)。2/23前後の日付をローマの人々風に表すと

  2/21・・・テルミナリアの 3日前
  2/22・・・テルミナリアの 2日前
  2/23・・・テルミナリア
  2/24・・・カレンダエの 6日前 ※ここでのカレンダエは3月のもの。

 となります。現在は日付の数え方でこうした例はあまり見ませんが、時間に関しては似たような使い方をすることがあります。例えば、

  10時50分 = 11時10分前

 といった使い方です。あるいは「もういくつ寝るとお正月」という感覚なのかもしれません。さて、この10時50分の例を考えたとき、この時刻は10時に属する時刻と思えますか、それとも11時に属する時刻と思えますか?「10時50分」ならまず間違いなく10時に属する時刻と捉えられると思いますが「11時10分前」というと・・・何割かの人はこの時刻が11時に属する時刻と感じるのではないでしょうか。同じ時刻のはずですが、言い方を変えると違ったものに見えてきませんか? 既に書いたとおり、ローマの人々は、月の終わりの頃の日付を「翌月の前何日」というような呼び方をしていましたから、テルミナリアの翌日2/24は 2月に属する日と言うより 3月(3月は当時の伝統的な1年の始まりの月)に属する日と感じられていたのではないでしょうか。そう考えれば2/23は1年最後の日と言う感覚なので、1年最後の日の後に「閏」を挿入したということでしょう。この部分については、残念ながらかわうそ@暦の当て推量の域を出ないのものなのですが、どんなものでしょう?

◇閏年は「朔日の 6日前が 2度ある年」
 かわうその当て推量を補強するものとして、閏年を表す言葉があります。ラテン語では閏年は「Bisextum」というそうです。この語を直訳すると「6日前が2度ある」という意味になるそうです。それにしても、ローマの人たちは、何とも不思議な日付の数え方をしていたものですね。常識が時代とともに変化するのは仕方がないですが、大きく違ってしまった常識を持つ現代からローマ人の日付の数え方を考えると ああ、ややっこしい!!てことになってしまいますね(私はそうなりました)。

                          (「2024/02/29 号 (No.6361) 」の抜粋文)
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ブプレウルム ! [ヘッダー画像]

190301no62.JPG
和名:ツキヌキサイコ(突き抜き柴胡)
撮影日:2019.03.01
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