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イソギク(磯菊)! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2018.11.09
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日の吉凶について [かわうそ@暦]

日の吉凶について
 暦の話というと、よく尋ねられるのが日の吉凶についてです。今日はその、「日の吉凶」について書いてみます。

◇日の吉凶を信じてる?
 「こよみのページ」などというサイトを開いて、こんなメールマガジンを発行していますので、日の吉凶について書かれた暦注には、普通の方よりは多少詳しいです。このメールマガジンにも、「今日の日干支と主な暦注」として沢山入れています。では信じるのかといわれると、吉凶判断に関しては全然信じていません。信じていないものをおまえは書いているのかといわれると、辛いのですが、「私のラッキーカラーは赤。赤いものを身につけていると、いいことがあるの。」という程度に考えれば、生活の彩りにはなりますし、伝統行事の由来などを考える上では役に立つので、計算して表示しています。ですから、真正面から暦注を信じていますか? と質問されると、答えは「信じていません」と答えることになります。

◇暦注と神秘性
 各種の暦注の日付の計算に関しては、そこら辺の占い師さんよりは詳しいと自負しておりますが、計算方法などを調べ、知れば知るほどこんな単純な数字の遊びで、人の運命なんて判るはずは無いという思いは強まるばかり。占いが信じられる背景には、「よく解らない何か」が必要なようで、それが神秘性につながっているようです。自明すぎると有り難みも感じられない。六曜(大安とか仏滅など)などがいい例で、先勝から友引、先負・・・と続く六曜の循環がずっと一定ならきっと今ほど信じられることもなかったでしょう。たまにこの順番が変わるので、「神秘的」に見えていると思います。六曜は旧暦の「月」と「日」で決まってしまうので、この不連続は旧暦の月が変わるときだと判ればなんでもないことですし、旧暦時代六曜がほとんど重要視されたことが無いのも、旧暦時代の人にはあたりまえすぎて神秘性が無かったためでしょうか。もう一つ暦注と神秘性の関係でいい例があるとすれば、「七曜」という暦注が有ります。これは現代では廃れてしまいましたが江戸時代などはよく似た名前の暦注「六曜」よりよっぽど信じられていたものです。この七曜、何かといえば「日月火水木金土」と続く曜日のことです。この七曜の吉凶判断からすると本日「日曜日」は、

  日曜 ・・・ 万事よろし。

 と目出度い日です。でもほとんど毎日この曜日を使った生活をするようになるとあたりまえすぎてちっとも「神秘的」では有りません。そして今では七曜での吉凶判断を重要視する人は、まずいないでしょう。

◇日の吉凶は発明か発見か
 人間が始めて作り出したものを「発明」とよび、元々自然法則として存在した法則性を見いだしたものを「発見」と呼ぶとすると、日の吉凶判断(暦注)は発明でしょうか、それとも発見でしょうか。一日一日、一年一年という時の流れは人間がこの世に出現する以前から存在していたもので、これは「発見」の部類にはいると思います(区切り方や、年月日という単位をつけて長短を示すというところは発明ですね)。では日の吉凶はというと、私は「発明」の部類にはいると思います。人間が毎日巡ってくる「一日一日」に「よい日、悪い日」という意味を着けてはじめて吉凶が生まれたからです。例えば、土用に土を動かすとよくないといい、土を掘り返すような行為を忌む慣習が残っています。ですが、この期間に土を動かすことがよくない結果を生むものだということが自然の法則だとしたら、一年中土を掘って暮らしているモグラやミミズといった生物はこの期間どうしているのでしょう?土用だからといって、モグラが土を掘るのを控えているとは思えません。では、土用に土を動かすという禁忌にふれることをずっとしていたモグラやミミズには不幸が訪れ続けていたかといえば、多分そうでは無いでしょう。もしそんなに悪いことが起こるのなら、モグラやミミズはとっくに絶滅しているはずです。自然の法則であれば、モグラにも人間にも等しく作用するはずで、モグラは関係なくて人間だけ関係有るということは無いでしょう。あくまでも日の吉凶は人間が勝手に日に意味を持たせただけ。人間がそんなことをしなければ、日に吉凶など無かったという点で、日の吉凶、暦注は人間の発明品です。

◇万人に良い日、悪い日など有るはずがない
 「甲子の日」は六十干支の始まりの日で、目出度い日とされています。有名な話としては、周の武王が殷の紂王を牧野の戦いで打ち破って周王朝を打ち立てたのが「甲子の日」とされています。この甲子の日は、武王にとっては確かに勝利した目出度い日ですが、同じ日であっても紂王にとっては最悪の日となったはず。皆さんが信じて「結婚するなら大安の日」とする吉日の大安でも、その日結婚した夫婦は離婚しないのかといえばそんなことが無いことは皆さんもよくご存じのはず。やはり万人にとって良い日、悪い日など有ろうはずがないのです。長々と当たり前のことを書いてきましたが、時としてこの当たり前の話をわきまえず、暦の吉凶判断に振り回される方がいらっしゃるようです。皆さんの中にはそんな方はいらっしゃらないと思いますが、気をつけましょうね。(「2018/11/25 号 (No.4439) 」の抜粋文)

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2018-11-24 [twitter投稿]



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秋の景色 ! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2018.11.23
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初冬の虹 [かわうそ@暦]

□初冬の虹
 そろそろ北国からは初雪や初氷の知らせが届く頃となりました。これからはその知らせの場所が少しずつ南下して、日本列島が冬という季節に覆われることになるのでしょう。寒さは苦手な私ですが、寒さも季節の変化の一つ。寒さとも何とか折り合いつけて、季節の変化を楽しみたいと思います。さて、寒くなり雨が雪に変わって行く頃になると姿を消してしまうものがあります。本日は冬には姿を消してしまうものの一つ、虹について採り上げてみたいと思います。

◇七十二候「虹蔵不見」
 今日の暦にある七十二候の言葉を見ると「虹隠れて見えず」とあります。初冬の虹という話題として、まずはこの七十二候の言葉から始めてみることにいたしましょう。「虹隠れて見えず」は中国から伝来した時の書き方では「虹蔵不見」。これを「虹蔵(かくれ)て見えず」と読みます。このままではやや読みにくいのでこよみのページではこれを「虹隠れて見えず」と書き表しています。さて、初冬のこの時期になぜ「虹隠れて見えず」とあるかと云うことですがそれは虹と雨とは切っても切れない関係にあるからです。この記事の冒頭でも書いたとおり冬になると雨は雪へと姿を変えてしまいますから、虹もその姿を隠してしまうと云うことです。虹は、「虫偏」の文字であることからもわかるとおり、古代中国では生き物の一つ、竜の一種と考えられました。竜は水を操る神獣と考えられていましたから、その竜の一種である虹にも水を操る力があると考えられました。虹の力を及ぼす水、それは雨です。現代の私たちは冬になって雨が降らなくなると虹が出ないと考えますが、古代の人たちの考えは逆で、冬は雨を呼ぶ竜、虹が姿を隠す時期だから雨が降らないと、虹と雨の関係を捉えていたようです。

◇時雨虹(しぐれ にじ)
 冬は雨が降らない季節とは書きましたが、初冬の日本ではまだまだ雨が降ります。この辺は七十二候や二十四節気が発明された中国の内陸部より日本の気温が高いという気象条件の違いのためです。初冬の日本に降る雨というと、思い出される言葉に「時雨(しぐれ)」があります。時雨は短時間にサッと降って雨が上がり、雨が上がったと思ったらまたサッと降り出す、そんな雨です。虹は、雨がなければその姿を現しませんが、かといって雨だけがあれば姿を現すというものではありません。虹が姿を現すためには雨と太陽の光が必要だからです。雨と太陽の光という組み合わせが必要な虹にとって、降っては晴れ、晴れては降る時雨という雨は、雨と太陽の光の両方が揃う絶好の天気です。時雨雲が雨を降らせ、やがて頭上を去って代わりに青空が顔を覗かせると、頭上を去っていった雨に青空から覗いた太陽の光が当たって虹が生まれることがよくあります。こうした虹が「時雨虹」です。虹は太陽の光が斜めから差し込むほど、空の高いところまで広がった大きな姿となります。初冬の太陽は、夏と違って日中でも地平線からあまり高いところに昇りませんから、この時期に現れる時雨虹は大概が、大きく見事な虹となります。冬の本番となれば完全に姿を消してしまう虹ですが、姿を隠す前には別れの挨拶でもするかのように、見事な時雨虹となって初冬の空を飾ります。冬には姿を消してしまう虹ですが初冬のこの時期、時雨が止んで太陽が顔を覗かせたら、太陽の反対の方角に虹の姿を探してみてください。(「2018/11/24 号 (No.4438) 」の抜粋文)
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2018-11-23 [twitter投稿]



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アネモネ ! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2018.11.20
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「勤労感謝の日」の日付 [かわうそ@暦]

■「勤労感謝の日」の日付
 今日は、勤労感謝の日。この日は、明治憲法下では「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日でした。勤労感謝の日が新嘗祭を意識して作られた祝日であることは、国民の祝日に関する法律にある勤労感謝の日の意味に「生産を祝い」とあることから、窺い知ることが出来ます。勤労感謝の日という祝日の根底には、新嘗祭という古くからの宮中祭儀があるためでしょう、勤労感謝の日の日付は、ハッピーマンデー法の洗礼を受けることもなく、明治6年以来、ずっと11月23日のままです。では、この11月23日という日付はどこから来たのか。本日は、この日付について考えてみることにします。

◇新暦の日付に固定された新嘗祭
 勤労感謝の日の元(?)となった、新嘗祭という祭儀は仁徳天皇時代には既に行われていました。この古い祭儀の行われる日付は「十一月の中卯の日」と定められていました。「中卯」というのは、その月に入って 2度目の卯の日と云うことです。明治 5年(日本の正式の暦が太陰太陽暦であった最後の年)までは、新嘗祭は、この「十一月の中卯の日」に行われていました。そして、この明治5年の十一月中卯の日(明治5年11月22日)に新嘗祭が行われてから10日後、太陰太陽暦が続いていれば明治5年12月3日であったはずの日が、太陽暦の明治6年1月1日とされ、この日から日本の正式な暦は太陽暦に変わりました(これが、明治改暦と呼ばれる改暦です)。改暦の影響は、いろいろなところに現れますがこうした伝統行事の日付をいつにするかも影響を受けることのひとつ。対処法としては、

  A.従来どおり旧暦の十一月の中卯の日に対応する新暦の日付で行う。
  B.新暦の十一月の中卯の日で行う。
  C.十一月の中卯の日にこだわらず、新しく日付を決める。

 さて、新嘗祭の日付はどうしたか。まず、A案を考えてみると、明治6年の旧暦の十一月の中卯の日は11月22日。これはもちろん旧暦の日付ですが、この日を新暦の日付に直すと・・・困ったことに新暦の日付は明治7年1月10日となってしまい、明治6年の新嘗祭がなくなってしまいます。さすがにこれはまずいので、残る案はB案とC案。明治政府が選んだのはB案。新暦の十一月の中卯の日に新嘗祭を行うことにしました。明治6年の新暦での中卯の日を探すと、これが11月23日でした。こちらはもちろん新暦の年月日です。さて、翌年、明治7年もこのB案で行けば明治7年の新嘗祭は11月18日となったはずですが、結局こうはならず、明治7年からは、明治6年の新暦11月23日という日付を踏襲することにしたのでした。前述の3案でいえば、C案の新しい日付を決めるというものに相当するものです。日付に関しては、戦後新しい祝日法が生まれたときにもそのまま踏襲されました。ただし祝日の名称は変わり、「勤労感謝の日」となりましたが。このような経緯で、勤労感謝の日は11月23日という新暦の日付に固定されることになり、伝統的な十一月中卯の日とは関係がなくなりましたが、その年の収穫に感謝する日であることについては「新嘗祭」という祭日であった時代と同じ。その収穫の元となる一年間の勤労に感謝する日という意味で、勤労感謝の日となったのでした。ただの「お休みの日」ではなく、たまにはその祝日の意味を振り返ってみるのもよいのでは。そんなわけで、本日は勤労感謝の日の日付に拘って、その経緯を振り返ってみた、暦のこぼれ話でした。(「2018/11/23 号 (No.4437)」の抜粋文)

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今日(11/23)の夜空に見える月は【満月】です [かわうそ@暦]

◆今日(11/23)の夜空に見える月は【満月】。
月は日暮れの頃に東の空から昇り、翌日の夜明け頃に西の地平線に沈んでゆきます。新月から数えて15日目の十五夜の月と満月は同じものと考えられがちですが、十五夜と満月が同じ日になる確率は50%以下。案外はずれています。(今回も一致しませんでした)旧暦日による呼び名では【十六夜の月】です。

◆お月様の基礎データ
・満月の瞬間は 11/23 14時39分 (月齢は 15.6) ※満月とは、月と太陽の黄経の角度差が180度となる瞬間です。
・月出:11/23 16時49分 月没:11/24 7時 1分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):11/23 23時51分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 371400 km (平均距離の 0.97倍)。

 月は平均より 13000km近く、見かけの大きさはいつもより少し大きいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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