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2020-02-02 [twitter投稿]



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マイクロワックス ! [ヘッダー画像]

200122no2.JPG
撮影日:2020.01.21
JA直鞍なのはなガーデン
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今日(2/2)の夜空に見える月は【上弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(2/2)の夜空に見える月は【上弦の半月】。
上弦の月は日が暮れる頃は、真南の空の高いところにあり、日付が切り替わる頃に、西の地平線に沈んでゆきます。旧暦日による呼び名では【九日月】です。

◆お月様の基礎データ
・上弦の半月の瞬間は 2/2 10時41分 (月齢は 8.2) ※上弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が90度となる瞬間です。
・月出:2/2 11時 8分 月没:2/3 0時45分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):2/2 17時53分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 398100 km (平均距離の 1.04倍)。

 月は平均より 13700km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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節分と年越し [かわうそ@暦]

□節分と年越し
 明日は節分です。節分の頃になると、よくこんな質問を受けます。旧暦の時代は、節分で年が変わると聞きましたが、旧暦の日付ではそうなっていないようです。なぜでしょうか?これと似た話に、立春より前(節分以前)に生まれた人の干支は、1年前の干支であるなどというのもあります。この話にも枕詞のように「旧暦では」とつけられるようですが、こんな話を耳にしたことはありませんか?本日はなぜこんな話があるのか、節分と年越しの関係について説明してみたいと思います。

◇節分とは?
 このメールマガジンでは度々登場する表現、「暦の上では春ですが」などという場合の「春」は、二十四節気の立春の日から始まります。同様に、夏は立夏、秋は立秋、冬は立冬からそれぞれ暦の上の季節が始まります。全て「立○」です。この「立つ」には始まるという意味があります。「出立」とか、「旅立ち」という場合の立つです。つまり、立春は 「春立つ ⇒ 春の始まり」 ということですね。「立○」は四季それぞれにあって当然 4つですから、総称して「四立(しりゅう)」ともいいます。さて、今年の節分は 2/3です。そしてその翌日 2/4は立春。これは偶然でしょうか? いえいえ、偶然ではありません。節分は「四立」の前日を指す言葉なのです。四立は既に書いたとおり、四季それぞれの始まりの日です。節分は四立の前日ですから季節の変わり目ということになります。節分という名は、ここから生まれています。つまり、

  季節を分ける日 → 季「節」を「分」ける日 → 節分

 です。よって本来節分は四季それぞれ全てにあるわけです。昔の宮中行事をしらべると、確かに四季それぞれの節分には節分行事がありました。現在は春の節分だけにその行事が残って他は廃れてしまったために、立春前日だけが「節分」だと思われるようになりました。

◇節分を年の変わり目と考える理由
 現在は冬の真っ盛りの新暦の新年に受け取る年賀状には「迎春」「新春」の文字がおどりますね。皆さんご存じの通りこれは旧暦時代の慣習の名残。旧暦では、正~三月は春、四~六月は夏、七~九月は秋、十~十二月は冬と考えられてきました。ですから、正月の挨拶状である年賀状には「迎春」となるわけです。長らく日本で用いられてきた旧暦ではこのように、「一年は春に始まる」という概念があります。逆の言い方をすれば、「春の始まりは一年の始まり」ともいえます。一方、暦の上の春の始まりは「立春」ですから、

  春は一年の始め + 立春は春の始め → 立春は一年の始め

 となるわけです。さて、立春の前日は節分です。立春が年の始めだとすればその前日、節分は年の終わりを示すことになります。こう考えれば、「節分が年の変わり目である」という考えが解ります。

◇実際の旧暦の日付での年の変わり目と、節分が一致しない理由
 節分は立春の前日ですから、ここでは節分自体ではなく立春について考えます。立春は二十四節気の一つとしてその日付を計算されます。この二十四節気は、太陽の位置を元に計算される値です(AD1843年以前は、冬至の日からの日数で決まっていました。微妙に違いがありますが、ここでは立ち入らないことにします)。つまり二十四節気は太陽による暦なのです。日刊☆こよみのページの読者の皆さんは先刻ご承知のことでしょうが、世間一般では多くの方は二十四節気というと旧暦で決まっているもの、そして旧暦は太陰暦と思い込んでいるのでものなので二十四節気も当然、太陰(月)によって作られているなんて思い込んでしまうようです。この誤解の元は「旧暦は太陰暦」と思い込んでしまっていることです。旧暦は太陰太陽暦というのが正しく、太陰暦と太陽暦を折衷したような暦なのです。そして、折衷された「太陽暦」としての側面を代表するのが二十四節気なのです。ではもう一つの側面である「太陰暦」を代表するものは何かというと、それは「暦月の区切りは新月の日である」ということ。つまり暦月の一日(朔日)は必ず新月(そして十五夜はだいたい満月)という具合です。旧暦は、日次(ひなみ:日並)を月の満ち欠けで決定し、月次(つきなみ:月並)みは太陽の位置で決めるという暦です。月の満ち欠けがちょうど12回で1年であれば、立春を毎年正月一日、つまり元日とすることが出来たのでしょうが、世の中そんなに都合は良くなく、新月の日に立春となるような年は滅多にありません。立春は旧暦元日から±15日程の間で変化します。旧暦は概念上は「立春を正月とする暦」ですが、現実には「立春付近に正月をおいた暦」というのが正しい姿です。旧暦では節分が年の変わり目というのは、現実の旧暦を概念上の旧暦と混同した結果生まれたものです。誤解されたものとはいえ、多くの人が「節分は年の変わり目」という考えを持てば、本来は年越しの行事であったものが、節分に行われるようになったり、節分行事と年越し行事が混ざり合ったりしました。現代に残る、節分の夜の鬼追いは、元来は年越しに行われた旧年の邪気、疫神を追う追儺(ついな)が元々の姿でしょうし、恵方巻きにしても、新年の歳徳神のおわす方向、恵方から福を得ようというものだというのが、その内容から容易に想像出来ます。明日の節分の日には「鬼は外、福は内」と唱えながら鬼を追い、恵方巻きを無言で食べるときには、これは年越しの行事でもあるのだなと、頭の片隅で思いだしてくださいね。(「2020/02/02 号 (No.4873) の抜粋文)
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KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]


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