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2020-02-22 [twitter投稿]



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ピンクユキヤナギ(ピンク雪柳)! [ヘッダー画像]

200218no22.JPG
撮影日:2020.02.18
福智山ろく花公園
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暦の基礎知識・・・干支の書き方と読み方 [かわうそ@暦]

□暦の基礎知識・・・干支の書き方と読み方
 2020/2/22を昔の歴史書風に書いてみると「庚子年二月乙未」という風になります。「庚子(こうし)年」「乙未(いつび)」はそれぞれ年と日を干支紀年法、干支記日法と呼ばれる方式で表したものです。先日、とある方と暦の話をしていて、話が六十干支に及んだとき、「六十干支ってなんですか? 聞いたことないです」と言われました。あまり、一般的には使われない言葉なのかな? 暦の話が日常の話だと勘違いしている私のような者の常識は一般社会の常識とずれているのかもしれないと気づいた瞬間でした。そんなわけで、暦の世界では常識と考えられている(私が勝手に思い込んでいる)干支の書き方と読み方について書いてみることにしました。

◇干支は順番を表す数詞
 この干支の歴史は古く、中国の殷の時代には既に使われていました。亀の甲羅や動物の骨に刻まれ出土したことから甲骨文字と呼ばれるようになった殷時代の文字にはすでにこれが存在します。干支は年や日にちを示すのに使われることが多く、占いの本などにも必ず登場しますが、これは順番を数えるために使われた詞であって、本来は占いとは無関係でした。このため干支自体は「暦注」の仲間とはされないのが普通です。こうした干支を用いた年や日の数え方を干支紀年法、干支記日法と呼びます。まず干支があって、後から占いがこれを利用するようになったのですが、今では占い以外のことにはあまり干支が登場しないので、干支とは占いのために作られたのかのようです。干支にとっては迷惑な話です。十干と十二支を組み合わせて六十干支が出来ます。六十干支は単に干支ともいいます。占いの世界では干支を、天干地支(てんかんちし)などと呼ぶようですが、その呼び名の通り、干支を書く順番は十干(じっかん)が先、十二支(じゅうにし)が後となります。

◇十干
  甲(こう・きのえ) ・乙(いつ・きのと) ・丙(へい・ひのえ)
  丁(てい・ひのと) ・戊(ぼ・つちのえ) ・己(き・つちのと)
  庚(こう・かのえ) ・辛(しん・かのと) ・壬(じん・みずのえ)
  癸(き・みずのと)
 の10種類。

 「きのえ」は「木の兄」のことで、はじめの「木」は木火土金水の五行の中の「木(き)」。「兄」は陰陽を表す「兄(え)」と「弟(と)」の「兄」。ちなみにこの「兄弟(えと)」から、干支全体も「干支(えと)」と呼ぶようになりました。

◇十二支
  子(ね・し)  ・丑(うし・ちゅう) ・寅(とら・いん)
  卯(う・ぼう) ・辰(たつ・しん)  ・巳(み・し)
  午(うま・ご) ・未(ひつじ・び)  ・申(さる・しん)
  酉(とり・ゆう)・戌(いぬ・じゅつ) ・亥(い・がい)
 の12種類。

 今年は「卯年(うさぎどし)」などでおなじみのもの。なじみの有る動物の名前では呼ばれますが、十二支以外では「いぬ」を「戌」と書くようなことはない特殊な使い方です。そのためか、昨今では「今月の犬の日はいつですか」なんて質問をしてくる人も出てきております。こういう場合は「今月の戌の日のことですね?」と念押してから答えています。

◇組み合わせた場合の読み
 干支を組み合わせて使った場合、

  甲申 ・・・ 1.こうしん  2.きのえさる

 のように読みます。ただ1の「こうしん」と読んだ場合「甲申」か「庚申」か解らないことがありますので、2を使って補足することもあります。この基本を押さえれば読み方はほぼOK。一部には慣習的に甲子と書いて「こうし」を「かっし」と読む場合が有ります。また、本日の日の干支である「乙未」などもちょっとだけ注意がいります。「乙」は単独では「おつ」または「いつ」と読まれますが、六十干支では「いつ」の方を使います(あるいは、詰まって「いっ」と読まれます。大化の改新でおなじみの「乙巳の変」は「いっしのへん」ですね)。この辺は慣れるしかないと割り切りましょう。暦の基礎知識、最初の話として本日は暦の話に度々登場する割に、案外知られていない干支の書き方、読み方の話でした。(「2020/02/22 号 (No.4893) 」の抜粋文)
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【歳月人を待たず】(さいげつひとをまたず) [かわうそ@暦]

【歳月人を待たず】(さいげつひとをまたず)
 [陶淵明、雑詩「時に及んで当(まさ)に勉励すべし、歳月人を待たず」]年月は人の都合にかかわらず過ぎて行って、少しの間も止まらない。今の時を大切にして努力せよ、という戒めにも用いる。《広辞苑・第六版》

◇勉強しなさい
  「勉強しなさい」言われたところで、あるいは言ったところで「はい、勉強します」とはならないのが世の常。言う方も言われる方もまたかと思うだけで効果の程は、どれほどあるか。「時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」この言葉もそうした意味の言葉の一つとして使われることがあります。こちらの方は文語の響きがありますから「勉強しなさい」よりはずっと重々しい感じがしますが、それでも「またお説教か」と、若い頃はどちらかと云えばマイナスの印象を受ける言葉でした(一応、「若い頃は」と限定)。

◇陶淵明さん、あなたまで?
 「またお説教か」と思ったこの言葉が、陶淵明の雑詩の一部と知ったのは言葉自体を知った大分後のこと。そのときは、ショックでした。陶淵明さん、あなたまでこんなことをおっしゃるとは!「我、五斗米の為に腰を折りて郷里の小人に向かう能わず」と職を辞して田舎に帰ったという貴方までが・・・。しかし、これは断章主義の生み出した誤解でした。断章主義とは、文章の一部を切り取って、本来の文脈とは無関係に解釈する(ある意味、勝手に)というもの。陶淵明の雑詩にはこの言葉の前段に「歓を得なば当に楽しみをなすべく」とあります。陶淵明は「ぼやぼやしていると楽しい時を逃し、充実した時間を味わうことなく年老いて死んでしまうかもしれない。だからその時々に真剣に向かい合いなさい。」と言っているだけで、「勉強しなさい」と説教しているわけではないのでした。ああよかった。

◇今になれば思うこと
 「勉強しなさい」と説教される年頃には、なかなか分からないことですが、勉強それ自体は、楽しいものです。大人になると、皆一様に口にします。ああ、若いときにもっと勉強しておけばよかったと。そして誰に「勉強しなさい」と言われるわけでもないのに、勉強を始めたりします。「あの時もっとしておけば」と悔やんでみても仕方がない。歳月は人を待たずですから。過ぎてしまった時間は取り戻せませんが、これから先の時間だけでも真剣に向かい合って、楽しい時を過ごしましょう。(「2020/02/21 号 (No.4892) の抜粋文)


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