2020-02-16 [twitter投稿]
hippocampus460『明日の(2/16)の未明の空に昇る月は【下弦の半月】です』hippo@home|https://t.co/7eZZZOi6bD02/15 17:12 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /欠けていく凸月(7時40分、輝面比52%)視認できず。今日は下弦の月(弓張月)、月齢21.9。月の出:0時44分、月の入:11時38分です(北九州) /雨上がった直後のようです。雲の動きが… https://t.co/6yUIUvFpIy02/16 07:49 hippocampus460『理科年表の「夜明」と「日暮」の角度・補稿』hippo@home|https://t.co/3OfF388vTf02/16 13:45 hippocampus460『プリムラ・マラコイデス !』hippo@home|https://t.co/rvuwYQ6jkj02/16 17:40 hippocampus460日中、雨風強い天気!(>_<。) PM2.5のレベルは14(15→14)、AQI:良い /午前中、雨の中、干しネギ(九条ネギ)を掘る。白い部分(葉鞘)が太く育っています。雨風が強くなったので作業中止。昼食後は家内の依頼でホームベー… https://t.co/spo3t8tj1d02/16 18:09
理科年表の「夜明」と「日暮」の角度・補稿 [かわうそ@暦]
■理科年表の「夜明」と「日暮」の角度・補稿
2020/2/12の曆のこぼれ話に書いた『理科年表の「夜明」と「日暮」の角度』で理科年表が夜明や日暮の角度としている7°21′40″は寛政暦の明暮六つの定義の角度であると書きました。そしてその寛政暦の定義がそれ以前の明暮六つの角度は、それより前の暦で計算に用いられていた「日出入の二刻半前または後の瞬間」を角度に置き換えたものだと書きました(二刻半は現代の時間では36分に相当)。この、前回の曆のこぼれ話の最後で現在の日出の時刻と、この7°21′40″に視太陽中心がくる瞬間の時刻とを求め、その差を1年分平均しました。これで、ピッタリ! と思っていたのですが、
結果は京都 33.8分
36分(二刻半)とは2分少々の違いが出てしまいました。ちなみに、寛政暦等の計算は観測地を京都としていた(日本の都でしたから)ので、比較のための計算も京都を用いました。あれれ、ピッタリじゃない。なぜかな? ということで「そちらはまた勉強してみることにして」と結んでおりました。そうしたら、読者の方が助け船を出してくれました。以下がその助け船の内容です。
----------- hamtakさんからのメール(2020/2/15)より抜粋 --------------
かわうそさんこんにちは hamtak です。
何日か前の夜明と日暮についてです。国立天文台の暦Wiki http://u0u0.net/WsCs には
「それが、春秋分の、京都での、日の出二刻半前における太陽高度であり」とあるので,
1年分の平均は取らない方がよいのではないかと。 (後略)
--------------------------------------------------------------------
※暦WikiのURL は1行に収まるようにURL短縮いたしました。
そうか、「春秋分の、日の出二刻半前」。その手があったか。確かに、太陽の位置が変化するので1年中、日出前の二刻半の明るさがいつも同じはずはないということから寛政暦から角度を用いる方式に変更したのですから、「一定」の基準としてわざわざ平均をとる必要はありませんね。どこか、妥当な日を基準にして決めれば、一定にするという目的は果たせますから。そして、春秋分の日というのは、きわめて妥当な選択です。
◇もう一つの収穫・日出の計算
hamtakさんから教えていただいたので、早速京都における春秋分の日出と夜明の時刻を求めてその差が36分になるかを確かめてみました。といっても、前回の「平均」を求めるために1年分の計算をした結果がファイルに残してありましたので、そのファイルを開いて確かめただけですけど。その結果は以下のとおりでした。
夜明の時刻 日出時刻 時刻差
03/20 5時28分47秒, 6時 0分20秒, 31分33秒
09/22 5時12分54秒, 5時44分31秒, 31分37秒
※日出時刻は「こよみのページ」で標準として用いている
視太陽中心の伏角が 0.899°となる瞬間としました。
あら? 予想と違い差は36分になっていません。その差は約4.5分。夜明の計算に用いる角度は今回は7°21′40″と明確ですので、この4.5分の差は日出の時刻の違いに起因すると考えることが出来ます。4.5分という時刻差は、京都の緯度と春秋分の日という条件から考えると太陽の伏角の差1°程度だということが予想されます。これは日出時刻の計算に用いた「視太陽中心の伏角が0.899°」の0.899°に近い角度です。試しに日出時刻の計算に用いる視太陽中心の伏角を0°として前述の計算を行ってみると
夜明の時刻 日出時刻 時刻差
03/20 5時28分47秒, 6時 4分43秒, 35分56秒
09/22 5時12分54秒, 5時48分54秒, 36分 0秒
※日出時刻は視太陽中心の伏角が 0°となる瞬間としました。
今度こそ、合致しました。そうか、寛政暦の日出(日入も)は視太陽中心が地平線に接する瞬間として計算されていたのですね。はっきり分かってよかった。「よかった」のですが、その時ふと暦Wiki に書いてあったりして?と、国立天文台の暦Wikiを読みに行くと・・・ありました。日のでの定義の変遷が。その中に
江戸時代 ・・・ 地方視太陽時。大気差なし。太陽中心
うーむ。不勉強でした。「思いて学ばざれば則ち殆し」。孔子の言葉が身にしみる今日この頃。そのうえ、現在のように太陽上辺が地平線に接した瞬間を以て日出入とされたのが明治36年からだということも知りました。現在の日出入(私の場合、日出没と書くことがおおいです)の定義がいつから使われているかなんて、考えたこともなかったので、とてもいい勉強になりました。収穫、収穫。
hamtakさん、情報ありがとうございました。
以上、「理科年表の「夜明」と「日暮」の角度・補稿でした。
(「2020/02/16 号 (No.4887) 」の抜粋文)
2020/2/12の曆のこぼれ話に書いた『理科年表の「夜明」と「日暮」の角度』で理科年表が夜明や日暮の角度としている7°21′40″は寛政暦の明暮六つの定義の角度であると書きました。そしてその寛政暦の定義がそれ以前の明暮六つの角度は、それより前の暦で計算に用いられていた「日出入の二刻半前または後の瞬間」を角度に置き換えたものだと書きました(二刻半は現代の時間では36分に相当)。この、前回の曆のこぼれ話の最後で現在の日出の時刻と、この7°21′40″に視太陽中心がくる瞬間の時刻とを求め、その差を1年分平均しました。これで、ピッタリ! と思っていたのですが、
結果は京都 33.8分
36分(二刻半)とは2分少々の違いが出てしまいました。ちなみに、寛政暦等の計算は観測地を京都としていた(日本の都でしたから)ので、比較のための計算も京都を用いました。あれれ、ピッタリじゃない。なぜかな? ということで「そちらはまた勉強してみることにして」と結んでおりました。そうしたら、読者の方が助け船を出してくれました。以下がその助け船の内容です。
----------- hamtakさんからのメール(2020/2/15)より抜粋 --------------
かわうそさんこんにちは hamtak です。
何日か前の夜明と日暮についてです。国立天文台の暦Wiki http://u0u0.net/WsCs には
「それが、春秋分の、京都での、日の出二刻半前における太陽高度であり」とあるので,
1年分の平均は取らない方がよいのではないかと。 (後略)
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※暦WikiのURL は1行に収まるようにURL短縮いたしました。
そうか、「春秋分の、日の出二刻半前」。その手があったか。確かに、太陽の位置が変化するので1年中、日出前の二刻半の明るさがいつも同じはずはないということから寛政暦から角度を用いる方式に変更したのですから、「一定」の基準としてわざわざ平均をとる必要はありませんね。どこか、妥当な日を基準にして決めれば、一定にするという目的は果たせますから。そして、春秋分の日というのは、きわめて妥当な選択です。
◇もう一つの収穫・日出の計算
hamtakさんから教えていただいたので、早速京都における春秋分の日出と夜明の時刻を求めてその差が36分になるかを確かめてみました。といっても、前回の「平均」を求めるために1年分の計算をした結果がファイルに残してありましたので、そのファイルを開いて確かめただけですけど。その結果は以下のとおりでした。
夜明の時刻 日出時刻 時刻差
03/20 5時28分47秒, 6時 0分20秒, 31分33秒
09/22 5時12分54秒, 5時44分31秒, 31分37秒
※日出時刻は「こよみのページ」で標準として用いている
視太陽中心の伏角が 0.899°となる瞬間としました。
あら? 予想と違い差は36分になっていません。その差は約4.5分。夜明の計算に用いる角度は今回は7°21′40″と明確ですので、この4.5分の差は日出の時刻の違いに起因すると考えることが出来ます。4.5分という時刻差は、京都の緯度と春秋分の日という条件から考えると太陽の伏角の差1°程度だということが予想されます。これは日出時刻の計算に用いた「視太陽中心の伏角が0.899°」の0.899°に近い角度です。試しに日出時刻の計算に用いる視太陽中心の伏角を0°として前述の計算を行ってみると
夜明の時刻 日出時刻 時刻差
03/20 5時28分47秒, 6時 4分43秒, 35分56秒
09/22 5時12分54秒, 5時48分54秒, 36分 0秒
※日出時刻は視太陽中心の伏角が 0°となる瞬間としました。
今度こそ、合致しました。そうか、寛政暦の日出(日入も)は視太陽中心が地平線に接する瞬間として計算されていたのですね。はっきり分かってよかった。「よかった」のですが、その時ふと暦Wiki に書いてあったりして?と、国立天文台の暦Wikiを読みに行くと・・・ありました。日のでの定義の変遷が。その中に
江戸時代 ・・・ 地方視太陽時。大気差なし。太陽中心
うーむ。不勉強でした。「思いて学ばざれば則ち殆し」。孔子の言葉が身にしみる今日この頃。そのうえ、現在のように太陽上辺が地平線に接した瞬間を以て日出入とされたのが明治36年からだということも知りました。現在の日出入(私の場合、日出没と書くことがおおいです)の定義がいつから使われているかなんて、考えたこともなかったので、とてもいい勉強になりました。収穫、収穫。
hamtakさん、情報ありがとうございました。
以上、「理科年表の「夜明」と「日暮」の角度・補稿でした。
(「2020/02/16 号 (No.4887) 」の抜粋文)