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ウエストリンギア! [ヘッダー画像]

200204no43.JPG
オーストラリアン・ローズマリー
撮影日:2020.02.11
JA直鞍なのはなガーデン
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理科年表の「夜明」と「日暮」の角度 [かわうそ@暦]

■理科年表の「夜明」と「日暮」の角度
 本日は、理科年表の「夜明」と「日暮」http://koyomi8.com/doc/mlwa/202002090.htmの話の最後に「もう少し書いておきたいことがあるんだけど」と書いた、その「もう少し」について書いてみます。それは何かというと『夜明,日暮 視太陽の中心の伏角が7°21′40″になる時刻である。』《丸善 理科年表 (2013年版) より》の伏角が7°21′40″という角度についてです。この角度については前回も書いたとおり、寛政暦、天保暦の「明六つ」「暮六つ」に対応する概念なのです。しかし、なんでまたこの角度が昼と夜との境界線である明け六つ、暮れ六つの瞬間を定める角度になったのでしょう?

◇「伏角が7°21′40″」はどこから出てきた?
 本来、昼夜を分ける明け六つ、暮れ六つの瞬間とは先にあげたような角度によって決められたものではありません。では何によって決められていたかというと、元々は明るさだったようです。確かに昼と夜の最大の違いと言えばそれは明るさの違いでしょうから、その明るさを基準とするのが当たり前といえます。とはいえ、現在のように明るさを正確に測る照度計のような装置があるわけではありません。どうやって明るさを測ったのでしょう?寛政暦法が施行されていた天保九(1838)年に書かれた『西洋時辰儀定刻活用』という本に「明暮六つ定める事」という説明があります。そこには次のように書かれています。「明暮の六つははなはだ定めがたきものなり。まず六つを定むるには、大星パラパラとみえ、また手の筋をみて細き筋はみえず、大筋の三すじばかりかなりにみゆるときを、六つと定む。しかれども、所々の習う人々の定めようにて、少しずつの違いはあるものなり。(以下略)」うーむ、熟練の技とでもいうもので決めてたという事ですね。説明中にあるように、所によって、人によってばらつきもあるのは仕方がないとも考えていたようです。省略した部分にはさらに、明るさはその日の天気にも左右されるし、月夜などは決めるのは難しいと、その熟練の技の難しさを述べております。確かにこれでは大変。それに、「手の大筋三すじがみえる時刻」なんて言われても計算でこれを求めることが出来ません。何か計算出来るもので置き換える必要があります。そこで、まず考えられたのが日出入の時刻と明暮六つの時刻の差を決めてこれを用いる方式です。寛政暦より前に使われていた曆ではこの時刻差によって明暮六つを決める方式でした。では、その時刻差はどれくらいだったかというと、暦計算に用いられた1日を百刻とする百刻法での二刻半がその時刻差とされていました。1日を百等分すると云うことは、この一刻は現在の時間で考えると14.4分に相当しますから、その2.5倍は36分ということになります。つまり、日の出日の入の時刻の36分前あるいは後を明け六つ、暮れ六つの瞬間、つまり昼と夜の境界の時刻としていたのでした。ただ、これだとちょっと問題があります。既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、一定の明るさで区切るとすると、一年中おなじ時間差というのはおかしい。季節によって若干の変動があるはずです。「元々が『手の大筋三すじ・・・』なんていう話なんだから、細かなことは言いっこなし」という気もするのですが、そんなことではいけませんということで、平均して二刻半という長さになるような太陽の伏角に置き換えて計算する方式を採用したのが、寛政暦(とその次の天保暦)。その角度が視太陽の中心の伏角が7°21′40″だったのです。そして、現在の理科年表はこの角度で「夜明」「日暮」の時刻を求めているのでした。

◇本当にこの角度なの?
 話はこれで終わってもよかったのですが、ちょっとだけ気になったので本当にこの角度で日出入の時刻の36分(二刻半)前と後になるのか確かめてみました。計算には現在の暦を用いて、京都と東京で1年分の計算して平均をとってみると

  京都 33.8分
  東京 34.2分

 と2分ほど差が出てしまいましたが、まあまあいい線か。日出入の計算に大気差の補正などしないとすると、差はもっと小さくなって10~20秒程度の差になります。もしかしたら、日出入の定義の差かなとも、また疑問が湧いてきましたが、こちらはまた勉強して見ることにして、ひとまず本日の話はおしまいとしたいと思います。(「2020/02/12 号 (No.4883)」の抜粋文)

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