KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
黄金色の十三夜月が、
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) August 2, 2020
まるで雲の波に漂うように輝いていました。
(本日宵、望遠鏡を使って撮影) pic.twitter.com/ZYYOpQ32kO
2020-08-02 [twitter投稿]
hippocampus460モナルダ - 絵画風 https://t.co/I7GHVURYAh @hippocampus460より08/01 17:01 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/dO5ANbMHzW08/01 23:33 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /満ちていく凸月(6時39分、輝面比96%)視認できず。今日は十三夜月、月齢12.2。月の入:3時39分、月の出:18時30分です(北九州) /今朝の空は雲が在るものの概ね晴れ!福智山頂は雲… https://t.co/NP2z1GHdsS08/02 06:46 hippocampus460『位置を測るための暦と秋吉利雄氏のこと』hippo@home|https://t.co/5EicTkk35x08/02 16:18 hippocampus460『ツユクサ(露草)!』hippo@home|https://t.co/D1AbWZsuIb08/02 16:33 hippocampus460日中、良い天気に恵まれるが蒸し暑かった!PM2.5のレベルは32(18→32)、AQI:平常 /午前中、草刈り作業。昨日の続き、畝・畝間の雑草を刈る。刈った雑草は片付けず畝間に敷く。枯らして堆肥にします。シャワーを浴びて昼食。午後… https://t.co/lT3K6FYMkE08/02 16:51
位置を測るための暦と秋吉利雄氏のこと [かわうそ@暦]
■位置を測るための暦と秋吉利雄氏のこと
暦というと、年月日時刻という「時」の流れと強く結び付いたものです。そしてその暦に現れる年、月、日といった単位は、太陽や月といった天体の動きを元にして作られたものです。昔は、こうした天体の動きは実際に観測してその動きを知るしか無かったのですが、観測結果の蓄積と天体力学などの発展の結果、計算によって天体の位置をあらかじめ予測できるようになってきました。この日刊☆こよみのページに毎日の日出没、月出没の時刻を掲示していますが、これも太陽と月の位置計算の結果から導かれたものです。出没時刻というのは、その天体の地平高度角(地平線から測った高度角)が 0度となる瞬間なので、ある日時の天体の高度角を求める計算を日時を少しずつ変えて計算し、0度となる日時を探し出せばよいわけです。「ある天体の高度角を求める計算」ですから、太陽や月以外の惑星や恒星だって同じように計算することが出来ます。たとえば、8/1の日本時22時丁度に東京の某所(やんごとなき場所)で南の空を見たとすると、そこには月と木星が少し離れて並んで見えたはずですがその時の両天体の高度角は
月 : 29°25′03″ 木星: 31°41′51″
(計算条件は天体中心位置、大気差補正なし)
同じように、この場所以外でだって計算できます。次に京都の某所(これまたやんごとなき場所)で計算してみると
月 : 29°57′41″ 木星: 31°49′45″
(計算条件は天体中心位置、大気差補正なし)
比較しやすいように並べてみます(ついでに差も掲載します)。
東京某所の高度角 月: 29°25′03″ 木星: 31°41′51″
京都某所の高度角 月: 29°57′41″ 木星: 31°49′45″
東京の値-京都の値 月: -0°32′38″ 木星: -0°07′54″
同一の瞬間でも場所が違えば天体の高度角も異なります。だから異なる場所では日月出没時刻が違ってしまうのです。
◇天体の高度角と位置の圏
同じ瞬間でも場所が違えば天体の高度角が異なると書きましたが、本当はこれは正しくありません。本当は、一つの天体の高度角が同じ瞬間に同じ値になる場所があります。それも無数に。この無数の場所をつなぎ合わせると地球上に一つの円が出来ます。この円を「位置の圏」と呼びます。この位置の圏は観測する星、観測する日時で違ったものになります。前述した例では、月と木星の二つの天体を見ていますから、東京と京都にそれぞれ2つの位置の圏(月の位置の圏と木星の位置の圏)が出来ます。こうして出来た位置の圏の交差した場所が、観測地点の位置となります。もっとも、2つの位置の圏の交点は2つ出来てしまうので、1つの点に絞るためには更にもう一つの位置の圏が必要になります・・・理論的には。ただ、この位置の圏、普通は半径が数百~数千kmの大きな円なので2つ位置の圏の交点は千km以上も離れているのが普通なので、実用上は2つの位置の圏だけけで充分です(2つの点の判別は容易でしょうから)。この方式によって位置を求めるためには、正確な時計と天体の高度角を測る道具、それと必要な日時の天体の位置の数値がありさえすれば、地球上どこでも位置を求めることが出来ます。まあ、現在はこんなことをしなくても、GPS 受信機(近頃ではスマートフォンにも当たり前に入ってますね)ひとつあれば簡単に位置を知ることが出来ます。ただし、GPS衛星(GPS衛星以外もあるので最近はGNSS衛星というべきか?)が動作し続けていればですが。こんな便利な測位衛星など無かった時代にはどうしていたかというと、目標となる陸地や島影も見えないような大海原の真ん中では、この天体を用いた位置測定法、天文測位法が唯一の位置測定法でした。今では当たり前のGPS衛星の存在ですが、1機目が打ち上げられたのが1978年ですから、半世紀前までは、大洋を航海するような船舶(航空機も)の位置測定は基本的に天文測位法によって行われていました。
◇天文測位用の暦
天文測位は地球上のどこであっても使える測位法ですが、この方式以外での測位が出来なかった船舶で利用されることが多かったため、天文測位専用の暦は一般に「航海暦」と呼ばれます。現在でも英国と米国が共同で作成している「Nautical Almanac」や日本が作成している「天測暦」などの航海暦があります。現在は、複雑な計算も瞬時にこなしてくれるコンピュータという便利な道具があるので、私などでも簡単に天体の位置計算を行うことが出来るのですがコンピュータが出現し、利用出来るようになるまでは、沢山の複雑な計算が必要となる航海暦の作成は難事業中の難事業でした。そのため、これが行える国というのは、ごく少数しかありませんでした。日本も長らく、英国のNautical Almanacを入手し、これを利用していましたが、いずれは日本独力で航海暦を作りたいと、大正8(1919)年からこれに取り組み、昭和5(1930)年にこれを完成させました。この間およそ12年。しかし12年間での完成というのは驚異的な速さだったと云われています。
◇秋吉利雄(少将、理学博士)
昭和5年、最難関であった月(太陰)位置の独立推算の手法を確立させ、日本の航海暦、「天測暦」を完成させた人物として、秋吉利雄という方の名前が残っています。暦のこぼれ話とは、ちょっと外れるかもしれないのですが、2020/8/1(つまり昨日)から始まった朝日新聞の新連載小説「また会う日まで」の主人公がこの秋吉利雄氏だということが、朝日新聞のニュースサイトで紹介されていました。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14559730.html
極狭い世界では知られた名前であっても、こうした地味な人物が連載小説の主人公になるとは驚き。著者の池澤夏樹氏と血縁関係(大伯父)だったというのも驚きでした。秋吉利雄は福岡県出身。海軍兵学校42期(大正3年卒)の海軍士官で、大正10~15年に東京帝国大学天文学科に国内留学し、天文学を修め(昭和17年には理学博士の学位を取得)、直後から海軍水路部で月位置の独立推算に取り組み昭和5年にこれを完成させています。また、天文測位のための計算方法についての研究も行い、計算量を減らし、誤りの少ないものとする工夫をし、英国他の作るNautical Almanacを改良した日本独自の形式の天測暦の完成に大きく貢献しました。秋吉氏のこの当時の言葉として「(天測暦作成は)絶対に誤りを許さない難事業」「保安上の責任と天体暦の権威上、絶対に正誤表はつけない」などが残されています。毎号、隅掘り隊報告と手の切れない日刊☆こよみのページ発行者としては、胸に突き刺さるお言葉です・・・。ついでのついでですが秋吉氏は天測暦完成という功績から「秋吉平頂海山」と海底地形にその名が残されました(2018年に国際的に承認されました)。
「海底地形の名称に関する検討会」 http://ur0.work/oZVz (「承認された海底地形名称」→「秋吉平頂海山」とお進みください)
GPS測位が一般化した現在では、天文測位の実用性はほぼ失われてしまったかもしれませんが、「暦」の使われ方の一側面として、本日は位置を測るための暦と、それを作った人の一人、秋吉利雄氏について書いてみました。(「2020/08/02 号 (No.5055) 」の抜粋文)
暦というと、年月日時刻という「時」の流れと強く結び付いたものです。そしてその暦に現れる年、月、日といった単位は、太陽や月といった天体の動きを元にして作られたものです。昔は、こうした天体の動きは実際に観測してその動きを知るしか無かったのですが、観測結果の蓄積と天体力学などの発展の結果、計算によって天体の位置をあらかじめ予測できるようになってきました。この日刊☆こよみのページに毎日の日出没、月出没の時刻を掲示していますが、これも太陽と月の位置計算の結果から導かれたものです。出没時刻というのは、その天体の地平高度角(地平線から測った高度角)が 0度となる瞬間なので、ある日時の天体の高度角を求める計算を日時を少しずつ変えて計算し、0度となる日時を探し出せばよいわけです。「ある天体の高度角を求める計算」ですから、太陽や月以外の惑星や恒星だって同じように計算することが出来ます。たとえば、8/1の日本時22時丁度に東京の某所(やんごとなき場所)で南の空を見たとすると、そこには月と木星が少し離れて並んで見えたはずですがその時の両天体の高度角は
月 : 29°25′03″ 木星: 31°41′51″
(計算条件は天体中心位置、大気差補正なし)
同じように、この場所以外でだって計算できます。次に京都の某所(これまたやんごとなき場所)で計算してみると
月 : 29°57′41″ 木星: 31°49′45″
(計算条件は天体中心位置、大気差補正なし)
比較しやすいように並べてみます(ついでに差も掲載します)。
東京某所の高度角 月: 29°25′03″ 木星: 31°41′51″
京都某所の高度角 月: 29°57′41″ 木星: 31°49′45″
東京の値-京都の値 月: -0°32′38″ 木星: -0°07′54″
同一の瞬間でも場所が違えば天体の高度角も異なります。だから異なる場所では日月出没時刻が違ってしまうのです。
◇天体の高度角と位置の圏
同じ瞬間でも場所が違えば天体の高度角が異なると書きましたが、本当はこれは正しくありません。本当は、一つの天体の高度角が同じ瞬間に同じ値になる場所があります。それも無数に。この無数の場所をつなぎ合わせると地球上に一つの円が出来ます。この円を「位置の圏」と呼びます。この位置の圏は観測する星、観測する日時で違ったものになります。前述した例では、月と木星の二つの天体を見ていますから、東京と京都にそれぞれ2つの位置の圏(月の位置の圏と木星の位置の圏)が出来ます。こうして出来た位置の圏の交差した場所が、観測地点の位置となります。もっとも、2つの位置の圏の交点は2つ出来てしまうので、1つの点に絞るためには更にもう一つの位置の圏が必要になります・・・理論的には。ただ、この位置の圏、普通は半径が数百~数千kmの大きな円なので2つ位置の圏の交点は千km以上も離れているのが普通なので、実用上は2つの位置の圏だけけで充分です(2つの点の判別は容易でしょうから)。この方式によって位置を求めるためには、正確な時計と天体の高度角を測る道具、それと必要な日時の天体の位置の数値がありさえすれば、地球上どこでも位置を求めることが出来ます。まあ、現在はこんなことをしなくても、GPS 受信機(近頃ではスマートフォンにも当たり前に入ってますね)ひとつあれば簡単に位置を知ることが出来ます。ただし、GPS衛星(GPS衛星以外もあるので最近はGNSS衛星というべきか?)が動作し続けていればですが。こんな便利な測位衛星など無かった時代にはどうしていたかというと、目標となる陸地や島影も見えないような大海原の真ん中では、この天体を用いた位置測定法、天文測位法が唯一の位置測定法でした。今では当たり前のGPS衛星の存在ですが、1機目が打ち上げられたのが1978年ですから、半世紀前までは、大洋を航海するような船舶(航空機も)の位置測定は基本的に天文測位法によって行われていました。
◇天文測位用の暦
天文測位は地球上のどこであっても使える測位法ですが、この方式以外での測位が出来なかった船舶で利用されることが多かったため、天文測位専用の暦は一般に「航海暦」と呼ばれます。現在でも英国と米国が共同で作成している「Nautical Almanac」や日本が作成している「天測暦」などの航海暦があります。現在は、複雑な計算も瞬時にこなしてくれるコンピュータという便利な道具があるので、私などでも簡単に天体の位置計算を行うことが出来るのですがコンピュータが出現し、利用出来るようになるまでは、沢山の複雑な計算が必要となる航海暦の作成は難事業中の難事業でした。そのため、これが行える国というのは、ごく少数しかありませんでした。日本も長らく、英国のNautical Almanacを入手し、これを利用していましたが、いずれは日本独力で航海暦を作りたいと、大正8(1919)年からこれに取り組み、昭和5(1930)年にこれを完成させました。この間およそ12年。しかし12年間での完成というのは驚異的な速さだったと云われています。
◇秋吉利雄(少将、理学博士)
昭和5年、最難関であった月(太陰)位置の独立推算の手法を確立させ、日本の航海暦、「天測暦」を完成させた人物として、秋吉利雄という方の名前が残っています。暦のこぼれ話とは、ちょっと外れるかもしれないのですが、2020/8/1(つまり昨日)から始まった朝日新聞の新連載小説「また会う日まで」の主人公がこの秋吉利雄氏だということが、朝日新聞のニュースサイトで紹介されていました。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14559730.html
極狭い世界では知られた名前であっても、こうした地味な人物が連載小説の主人公になるとは驚き。著者の池澤夏樹氏と血縁関係(大伯父)だったというのも驚きでした。秋吉利雄は福岡県出身。海軍兵学校42期(大正3年卒)の海軍士官で、大正10~15年に東京帝国大学天文学科に国内留学し、天文学を修め(昭和17年には理学博士の学位を取得)、直後から海軍水路部で月位置の独立推算に取り組み昭和5年にこれを完成させています。また、天文測位のための計算方法についての研究も行い、計算量を減らし、誤りの少ないものとする工夫をし、英国他の作るNautical Almanacを改良した日本独自の形式の天測暦の完成に大きく貢献しました。秋吉氏のこの当時の言葉として「(天測暦作成は)絶対に誤りを許さない難事業」「保安上の責任と天体暦の権威上、絶対に正誤表はつけない」などが残されています。毎号、隅掘り隊報告と手の切れない日刊☆こよみのページ発行者としては、胸に突き刺さるお言葉です・・・。ついでのついでですが秋吉氏は天測暦完成という功績から「秋吉平頂海山」と海底地形にその名が残されました(2018年に国際的に承認されました)。
「海底地形の名称に関する検討会」 http://ur0.work/oZVz (「承認された海底地形名称」→「秋吉平頂海山」とお進みください)
GPS測位が一般化した現在では、天文測位の実用性はほぼ失われてしまったかもしれませんが、「暦」の使われ方の一側面として、本日は位置を測るための暦と、それを作った人の一人、秋吉利雄氏について書いてみました。(「2020/08/02 号 (No.5055) 」の抜粋文)