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ユーフォルビア・マルギナタ ! [ヘッダー画像]

200804no2.JPG
和名:ハツユキソウ(初雪草)
撮影日:2020.08.04
福智山ろく花公園
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【多多ますます弁ず】(たたますますべんず) [かわうそ@暦]

【多多ますます弁ず】(たたますますべんず)
 [漢書韓信伝](韓信が漢の高祖と用兵の能力について語り合った際の言葉)多ければ多いほど巧みに処理することができる。才能ある者のはたらきをいう。転じて、多ければ多いほど都合がいい。「多々ますます善し」とも。 《広辞苑・第六版》

 秦末~漢初(紀元前3~2世紀頃)は故事の宝庫。この言葉も、この宝箱のような時代の主役級の人物、劉邦と韓信との間に為された会話に登場します。劉邦といえば、漢王朝を開いた英雄。韓信は劉邦の下で戦った将軍で、用兵の天才として知られた人物です。韓信については、ちょっと古い世代(私も含め)には「股くぐりの韓信」と言った方がわかりやすいかもしれません。この会話は漢王朝が成立し、ある程度安定した時期に為されたものです。漢王朝が成立した後、韓信は楚王に封じられましたが、やがてその軍事的能力の高さ故、劉邦に警戒されることとなり、謀反の疑いをかけられて楚王から、軍権を持たない淮陰候に降格されてしまいました。韓信が淮陰候に降格されて以後も、劉邦と韓信は時折会って会話をしていますが謀反疑惑の後ですから、現実の政治や軍事のような話は避け、もっぱら昔の思い出話などに終始したようです。「多多ますます弁ず」はそんな昔話の一つとして、楚漢戦争で共に戦った諸将の用兵の能力の品定めの中で登場します。様々な将軍の品定めを行った後、高祖劉邦が「ときに、私の将軍としての能力はどれほどだと思う?」と韓信に尋ねます。なにせ、天下を統一した劉邦ですから、かなりの高評価を期待して尋ねたのでしょう。けれど韓信から返ってきた言葉は期待外れでした。「陛下は、せいぜい十万人の兵の将ですね」こう言われると劉邦はやはり面白くありません。ちょっと意地悪な気持ちで更に次のような問いを発しました。「では、君自身はどのくらいの将軍だと思う?」この問いに関する韓信の答えが「多多ますます弁ず」です。「私は多ければ多いほどよい。どれ程の数の兵でも使いこなせます」それがこの答えです。質問を発した劉邦は、もしかしたら「百万の兵の将軍」といった、具体的な数を示されると思っていたでしょうが、答えはどんな大軍であっても、自在に操れますという予想外のものでした。用兵の天才、韓信ならではの答えです。それだけ自分の能力に自信もあり、用兵の能力に関してはとやかく言わせないだけの実績があったのです。軍隊を動かすなどということは無いでしょうけれど「多多ますます弁ず」という言葉、使えるほどの自信と実績を持ちたいものですね。(「2020/08/11 号 (No.5064) 」の抜粋文)
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